「天網恢恢疎にして漏らさず」の例文・使い方は?意味・類義語・語源についても解説!

「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざは少し難しい言葉で、あまり日常生活で聞いたことが無い人もいるかと思います。

「天網恢恢疎にして漏らさず」は「どれだけ隠れて悪事を働いても、必ず天罰が下る」という教えを伝えていますが、その意味や使い方、類義語、語源について詳しく知らない方も多いでしょう。

そこで今回の記事では、「天網恢恢疎にして漏らさず」のことわざについて、その意味から使い方、類義語、そして語源に至るまで詳しく解説します。

この記事を読むことで、あなたもこのことわざを正しく理解し、日常生活やビジネスシーンで適切に使うことができるようになるでしょう。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味と正しい読み方

意味:天網は目があらいがようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。出典:スーパー大辞林3.0

「天網恢恢疎にして漏らさず」は「てんもうかいかいそにしてもらさず」と読みます。

「天網恢恢疎にして漏らさず」は古典的な中国のことわざで、その言葉の背後には宇宙の摂理や人間の行動に対する深い信念が込められています。

「老子」七三章から引用されたこの言葉の意味は、天が広大な網を張り巡らし、その網目は粗く見えるかもしれないが、悪人や悪事を見逃すことはなく、必ず捕らえられるということです。

このことわざは、自然の摂理や宇宙の法則が常に働いており、人間の行いが避けられない結果をもたらすという考えを示しています。

「天網」は、広大かつ包括的な自然の法則を指し、「恢恢」はその法則が広大であること、「疎」は網目が粗いという意味です。

つまり、この世界は広大であり、その法則は複雑であるが、それでも悪事や不正は逃れることができず、必ずその罰が下るという教訓が込められています。

この言葉は、悪事を働く者に対して警告を与えるだけでなく、正義や道徳を守ることの重要性を強調しています。

人は一見、自分の行動が見逃されると考えるかもしれませんが、宇宙の摂理は公正であり、正しい行いは必ず報われるという信念が込められているのです。

このことわざは、古代中国の哲学的な思想や宗教的な信念に根ざしていますが、その普遍性は時代や文化を超えています。

人々は常に自分の行動に責任を持ち、正しい道を歩むことが重要であるという教訓を心に留めるべきです。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の使い方

「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざは、悪事や不正を働いた者が逃れることができないという教訓を伝えるために用いられます。

悪行は必ずその報いを受けるという宇宙の摂理や道徳の原則を表しており、その普遍性は時代や文化を超えています。

ビジネスシーンや日常生活の中で、「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉が用いられる機会はそう多くはありませんが、教訓や戒めとして使われます。

例えば、ある人物が陰で仕事を怠り、楽をしている様子を上司に目撃され、厳しい処分を受けるという状況が発生した場合、「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざが引用されることがあります。

また、不正行為や悪事が明るみに出た際にも、「天網恢恢疎にして漏らさず」の言葉が引用されることがあります。

不正行為を働いた者はその罪から逃れることはできず、必ずその報いを受けるというメッセージです。

さらに、「天網恢恢疎にして漏らさず」は、正しい行いをすることへの戒めとしても用いられます。

不正や悪事を行わず、誠実に生きることの重要性を示すために、この言葉が引用されることがあります。

以上のように、「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉は、悪事や不正行為に対する戒めや警告として幅広く用いられると同時に、人々は常に自らの行動に責任を持ち、善悪の判断を正しく行うことが求められるという教訓でもあるのです。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の注意点

「天網恢恢疎にして漏らさず」は、悪事を働いた者は必ず報いがあるという意味を持つことわざですが、実際に使う際には以下の点に注意して使うことをお勧めします。

先ず相手を非難する目的で使わない方が無難です。

このことわざは、悪事を働いた者に対する厳しい警告や報いの意味合いが強いため、他人を非難する目的で使うと、相手を不快にさせる可能性があります。

対話やコミュニケーションは、相手を尊重し、理解し合うことが大切ですから、その点には注意が必要です。

また、このことわざは、特定の状況や文脈でのみ適切に使用できます。

例えば、公正さや道義についての議論の中で、行動の結果には必ず報いがあるという意味を強調するために使うことができます。

最後に天網恢恢疎にして漏らさず」は重い意味を持つ言葉です。

そのため、軽い気持ちで使うと、その重さが伝わらず、誤解を招く可能性があります。

以上の点に気を付けて「天網恢恢疎にして漏らさず」を上手に使えば、効果的にこのことわざを会話の中で活かすことができますよ。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の例文

以下は、「天網恢恢疎にして漏らさず」の例文を紹介します。

その政治家は不正な資金流用をしていたが、最終的には「天網恢恢疎」にして漏らさず、その罪は明るみに出た。
会社の内部告発によって、不正行為が発覚し、「天網恢恢疎にして漏らさず」、関係者が処罰された。
彼は汚職事件に関与していたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」、その罪は捕まえられた。
この世の中、どんなに隠そうとしても、「天網恢恢疎にして漏らさず」、悪事は必ず明るみに出る。
逃げ切れると思った犯罪者も、最終的には「天網恢恢疎にして漏らさず」、捕まえられる運命にある。
彼女は不正な手段での昇進を試みたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」、その企みは失敗に終わった。
あの企業は顧客からの苦情を隠蔽しようとしたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」、テレビのニュースに取り上げられその社会的信用を失った。
偽装した商品を販売した業者も、「天網恢恢疎にして漏らさず」、消費者からのクレームでバレてしまった。

「天網恢恢疎にして漏らさず」のビジネスシーンでの例文

我々の企業は、常に倫理的な価値観を重んじ、不正行為や違法行為には容赦しません。「天網恢恢疎にして漏らさず」、不正を働く者は必ず捕らえられ、厳正な措置を取ることで企業の信頼を守ります。
我々は競争原理と公正な取引を重視し、市場での公正な競争を促進しています。「天網恢恢疎にして漏らさず」、不正な競争行為や独禁法違反を行う企業は必ず摘発され、法の下で裁かれるものです。
弊社では、企業の長期的な持続可能性を重視し、社会的責任を果たすことを徹底しています。「天網恢恢疎にして漏らさず」、環境破壊や社会問題の引き金となる企業活動は決して許されず、適切な対策が取られます。
弊社は従業員の倫理観を重んじ、不正行為や腐敗を排除するための厳格なコンプライアンスポリシーを実施しています。「天網恢恢疎にして漏らさず」、不正を行う従業員は厳正な処分を受け、企業の評判や信頼性を守るために行動します。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の類義語

この項目では、「天網恢恢疎にして漏らさず」の類義語を紹介します。

天網恢々疎にして失わず失わずと漏らさずの違いだけで、意味は全く同じです。
天知る地知る人は知る一見分からないようなことでも、天や地、または神や宇宙の力がそれを知っているという意味合いがあります。そして、このことわざは、人が行った悪行や隠れた行動も、最終的には明るみに出て、他の人や自らがそれを知ることになるという考え方を示唆しています。
眼は天を走る(まなこはてんをはしる) 眼は天を走る」とは、鋭い観察力や洞察力を持った者が、天の目のようにあらゆることを見抜くことができるという意味です。この言葉は、悪事を働く者が逃れることはできないという警告を含んでいます。
当たる罰は薦着ても当たる(あたるばつはこもきてもあたる)当たる罰は薦着ても当たる」とは、悪事を働いた者が必ず罰を受けるという意味を表します。どんなに隠そうとしても、その罰は必ず到来するということを示しています。
天の眼は見ている(てんのめはみている)「天の眼は見ている」は、「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様、神や自然の目が見ており、悪事から逃れることはできないということを示します。
天は見ている(てんはみている) 「天は見ている」という言葉も、天の摂理が人々の行動を監視しており、善悪を見逃さないという意味を持ちます。この言葉も「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様の概念を表しています。
天罰(てんばつ) 「天罰」とは、神や自然の力によって加えられる罰を意味します。この言葉も悪行に対する報いを表し、「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様の意味を持ちます。
天誅(てんちゅう)「天誅」とは、神の罰や天の怒りを意味します。この言葉もまた、悪行を行った者に対する厳しい罰を示しており、「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様の概念を表しています。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の語源

「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉は、古代中国の哲学書である「老子」に由来します。

この言葉は、「老子」の第七十三章に登場する句から派生したもので、原文は「天網恢恢、疏にして失わず」です。

この句は、天の摂理や宇宙の法則が万物を見守り、悪事を働いた者を逃がさず必ず罰するという意味を持っています。

古代中国では、天が張りめぐらした網は広大であり、目は粗く隙間があるように見えますが、その網から逃れることはできません。

悪事を働いた者は、必ず捕らえられて天罰を受けるという考えが込められています。

「老子」は、道教の経典であり、道家思想を代表する書物の一つです。

その中で登場する「天網恢恢疎にして漏らさず」の教えは、人々に善行を行い、悪事を慎むよう促す教訓として広く受け入れられています。

この言葉は、中国のみならず世界中で知られ、その普遍的な教えは時代を超えて多くの人々に影響を与えてきました。

現代でも悪事を働く者が必ず罰せられるという信念は根強く残っており、社会の倫理や道徳において重要な役割を果たしています。

「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉は、古代中国の哲学者が提唱した宇宙の摂理や道徳的価値観を示す教訓として、今日でも私たちの心に深く刻まれています。

「天網恢恢疎にして漏らさず」に関するQ&A

「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざには、下記のような質問がよくあります。

  • 「天網恢恢疎にして漏らさず」の対義語は?
  • 「天網恢恢疎にして漏らさず」の四字熟語は?
  • 「天網恢恢疎にして漏らさず」を英語・中国語では何と言う?

これらの質問に対する回答を次にご紹介します。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の対義語は?

「天網恢恢疎にして漏らさず」の対義語について説明します。

網呑舟の魚を漏らすこの言葉は、大きな船が網にかかるほど大きな魚でも、捕まえることができずに逃がしてしまうことを指します。つまり、罪深い者が逃げおおせる状況を表しています。
天に目なし「天網恢恢疎にして漏らさず」の対義語であり、天は人間の行動を監視しておらず、悪事や不正を見抜けないという意味を持ちます。つまり、天に見えない状態で悪事が行われ、罰が逃れることを指します。
網にかかるは雑魚ばかり小さな魚や小者ばかりが網にかかるということわざで、大物や権力者は罪を逃れる傾向があることを嘆く言葉です。つまり、大きな罪を犯した者が罰せられることなく逃れる状況を示しています。
大魚は網を破る「天網恢恢疎にして漏らさず」の対義語であり、大きな魚は網を破って逃れるという意味を持ちます。つまり、大物や権力者はしばしば罰を逃れることができるという皮肉を含んでいます。

以上の対義語は、「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味と反対の概念を表しており、このことわざの教訓とは対照的な状況を示しています。

「天網恢恢疎にして漏らさず」の四字熟語は?

「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様の意味を表す四字熟語には、下記のようなものがあります。

信賞必罰(しんしょうひつばつ)「信賞必罰」とは、功績を評価して報い、罪を犯した者には必ず罰を与えることを意味します。この言葉もまた、「善は必ず報われ、悪は必ず罰せられる」という原則を示しています。
天罰覿面(てんばつてきめん)「天罰覿面」は、天の罰がすぐに目の前に現れることを指します。悪事を働いた者は、すぐにその行いの報いを受けるという意味合いがあります。この言葉も「天網恢恢疎にして漏らさず」と同様に、天の摂理や正義の原則を示す言葉です。
因果応報(いんがおうほう)因果応報は、善いことをすれば良い結果が返ってきて、悪いことをすれば悪い結果が返ってくるという考え方です。行動には必ずその結果が返ってくるという原則を表しています。

「天網恢恢疎にして漏らさず」を英語・中国語では何て言う?

天網恢恢疎にして漏らさずは、中国の古典である老子の言葉から派生したことわざであり、直訳すると“Heaven’s net is vast and loose, but it does not let anything slip through”

この表現は、天の法則や宇宙の力が広大かつ寛容であるが、悪事や不正はどんなに隠そうとしても逃れることができないという意味を持ちます。

また、このことわざは中国語では「天網恢恢疏而不漏(tiānwǎng huīhuī,shū ér bù lòu)」と表現されます。

天網は広大であるが、目が粗いという意味でありながらも、一つも逃さず、漏らさず、不正な行為を見逃さないというメッセージを伝えます。

英語では、“Heaven’s vengeance is slow but sure”という表現が天網恢恢疎にして漏らさずの意味を最もよく表しています。

この表現は、天の報いは遅くても確実であるという意味を持ち、悪事を働けば必ず罰を受けるという教訓を示しています。

まとめ:「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味を理解しよう

「天網恢恢疎にして漏らさず」は、古代中国の哲学者・老子によって提唱された言葉であり、天の法則は広く大きく、目も粗いように見えるが、悪事を逃さず捕らえて必ず報いるという意味を持ちます。

この言葉は、悪事を働く者が必ず罰を受けるという、正義と摂理の考え方を示唆しています。

現代社会においても、正しい行動が報われるとは限りませんが、このことわざは良心の呵責や社会の意識を促し、正しく生きることの重要性を訴えかけます。

悪事を働く者が逃れることはあっても、悪い事をしたという良心の呵責、すなわち自分の天の目からは逃れることはできません。

皆が常にこのことわざを胸に、自分の生き方の指針としたいものですね。